父の葬儀が終わり、私は仕事を再開。息子も出棺の時とその日の夜は泣いていたが、もう元気に学校に行っている。まだ相続や四十九日、墓誌のことなどが残ってはいるが、少しずつ日常が戻りつつある。
そして、NMAXに給油。走行距離234km/給油量5.39L=43.41km/Lとなった。1年前の同時期の燃費が40.40km/Lなので、いい記録である。G1-M3Nを添加。
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父の葬儀が終わり、私は仕事を再開。息子も出棺の時とその日の夜は泣いていたが、もう元気に学校に行っている。まだ相続や四十九日、墓誌のことなどが残ってはいるが、少しずつ日常が戻りつつある。
そして、NMAXに給油。走行距離234km/給油量5.39L=43.41km/Lとなった。1年前の同時期の燃費が40.40km/Lなので、いい記録である。G1-M3Nを添加。
午前3時、空腹か何かで・・・何故か目が覚めたので、リビングでサラダを食べていた。すると、左腕のスマートウォッチが1回振動。スマートフォンを確認すると義兄からの不在着信。義兄は私の実家の隣に住んで、私の父母の面倒をみてくれている。嫌な予感がして掛けなおすかどうか逡巡していると、テキストメッセージが届いた。
「爺ちゃんが倒れた」
すぐに向かう、と返信して身支度していると、次々にメッセージが届く。
結局私の自宅から車で10分ほど(深夜なら5~6分)の病院へ緊急搬送された。義兄のメッセージから、おそらくもうダメだということは分かったので、事故を起こさないように安全運転を心掛け、深夜の駐車場に207を滑り込ませた。
救急窓口まで歩きながら、親の死というものはこんなにあっけなく訪れることもあるのかと、妙に落ち着いた心境になった。当直の職員さんに父の名を告げると、保険証を持っていないか尋ねられた。義兄が持ってきていないとすれば、まだ実家にあるのだろう。
ERに案内された時には既に何の処置もされていない父が横たわっていた。救急医の死亡診断を確認していく。瞳孔散大、対光反射なし、心音・呼吸音なし・・・。露わにされた胸には胸骨が折れたらしい心臓マッサージの跡。それを見て初めて胸の奥で小さな痛みのようなものを感じた。昨日までデイケアに通っていたのに。
父がしていた腕時計は持ち主の死とは無関係に時を刻んでいて、救急医はせっかくだからということか、その時計を確認して、午前3時37分です、と時刻を告げた。
義兄は救急車に同乗して来ていたので、私の車で実家まで戻ることにした。父の思い出話をぽつりぽつりと口にしながら、私達はまだ暗い山道を走っていた。
実家に着いて保険証その他必要なものを集めて、私は母と病院にトンボ帰りした。母には既に覚悟ができていたのか、病院に着いて父の死亡を確認した時も、1分ほどの沈黙があっただけで、すぐに警察の聴取に答えていた。警察が来たのは、自宅での死亡とみられるからで、母に聴取するのは、母が倒れた父を最初に見たからだ。
そこからは葬儀社への連絡、お寺の手配、通夜・告別式諸々の手続きを喪主としてこなした。滋賀の娘にも連絡をした。実は妻と娘は少し喧嘩をしていてメッセージにも返信がないことが多かったが、さすがにこれには反応した。明日、忌引きで帰ってくる。
明日は通夜、明後日が告別式だ。
本日私は仕事だが、金曜日が休みな妻と息子は大学病院に行った。先日中耳炎による浸出液が多くなり、町の耳鼻科では対応できないことから、かかりつけの大学病院の先生に診てもらいに行ったというわけだ。
妻からの連絡は一言「チューブ抜いた」。診察の内容などは一切わからない。。。
長期間留置していたので鼓膜の穴が塞がるかどうかと、塞がったら塞がったで今度中耳炎になったときが心配という・・・色々あるなぁ。
NMAXに給油したので記録。走行距離234km/給油量5.42L=43.17km/L。前回よりわずかながら向上。G1-M3Nを添加。ガソリン価格が157円/Lになった。約2年前にNMAXで通勤をし始めてからの最高値を更新した。個人的には燃料高は(いろんな意味での)低燃費技術の追い風となるし、エコ燃料の採算が取れる可能性が出てくるので一概に嫌というわけではない。