午前3時、空腹か何かで・・・何故か目が覚めたので、リビングでサラダを食べていた。すると、左腕のスマートウォッチが1回振動。スマートフォンを確認すると義兄からの不在着信。義兄は私の実家の隣に住んで、私の父母の面倒をみてくれている。嫌な予感がして掛けなおすかどうか逡巡していると、テキストメッセージが届いた。
「爺ちゃんが倒れた」
すぐに向かう、と返信して身支度していると、次々にメッセージが届く。
結局私の自宅から車で10分ほど(深夜なら5~6分)の病院へ緊急搬送された。義兄のメッセージから、おそらくもうダメだということは分かったので、事故を起こさないように安全運転を心掛け、深夜の駐車場に207を滑り込ませた。
救急窓口まで歩きながら、親の死というものはこんなにあっけなく訪れることもあるのかと、妙に落ち着いた心境になった。当直の職員さんに父の名を告げると、保険証を持っていないか尋ねられた。義兄が持ってきていないとすれば、まだ実家にあるのだろう。
ERに案内された時には既に何の処置もされていない父が横たわっていた。救急医の死亡診断を確認していく。瞳孔散大、対光反射なし、心音・呼吸音なし・・・。露わにされた胸には胸骨が折れたらしい心臓マッサージの跡。それを見て初めて胸の奥で小さな痛みのようなものを感じた。昨日までデイケアに通っていたのに。
父がしていた腕時計は持ち主の死とは無関係に時を刻んでいて、救急医はせっかくだからということか、その時計を確認して、午前3時37分です、と時刻を告げた。
義兄は救急車に同乗して来ていたので、私の車で実家まで戻ることにした。父の思い出話をぽつりぽつりと口にしながら、私達はまだ暗い山道を走っていた。
実家に着いて保険証その他必要なものを集めて、私は母と病院にトンボ帰りした。母には既に覚悟ができていたのか、病院に着いて父の死亡を確認した時も、1分ほどの沈黙があっただけで、すぐに警察の聴取に答えていた。警察が来たのは、自宅での死亡とみられるからで、母に聴取するのは、母が倒れた父を最初に見たからだ。
そこからは葬儀社への連絡、お寺の手配、通夜・告別式諸々の手続きを喪主としてこなした。滋賀の娘にも連絡をした。実は妻と娘は少し喧嘩をしていてメッセージにも返信がないことが多かったが、さすがにこれには反応した。明日、忌引きで帰ってくる。
明日は通夜、明後日が告別式だ。
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この度は、お悔やみ申し上げます。
返信削除お父様とは、一度だけお会いしたことがあります。15年も前になります。お父様が作られたお米、今でもその味を覚えています。美味しいお米、ありがとうございました。
お通夜、告別式と大変かと思います。ご本人ご家族の方もそうですが、特にお母様は、その間気が張って居られても、一気に精神的にも体力的にも下降気味になり易いので、落ち着かれるまでしばらくは元気づけてあげて下さい。お孫さんの顔を見せてあげるのが一番かと思います。
東京の老人より
ありがとうございます。15年前のこと、ついこの間のようです。
削除おかげさまで無事に通夜・告別式を終わらせることができました。家族葬のつもりでしたが、気がつけば100人を超える方からお悔やみをいただきました。有難いことです。
今日はお寺様への御礼、四十九日法要や位牌・墓誌の準備などがありますが、とりあえずは娘と食事でもしようかと思います。