2013年5月19日日曜日

生後17日目 メッセージ:母から妻へ

私の住む地域では、内孫には出産祝いをしないのが常識だったが、核家族化が進み祖父母と同居することが少なくなって、少し包んだりすることもあるようだ。妻の体調もだいぶ良くなってきて、昨日はじめて息子を連れて三人で実家へ行ったのだが、私の母も息子の病気のことを心配したのか、何かと要るのだからと出産祝いを妻に手渡した。妻はひたすら恐縮していたが、いつになく譲らない母に押し切られて受け取った。

「巨大ネコの新入りチェックから孫を守る祖母」


私の両親は今は年金暮らし。自営業だったから国民年金で、生活に余裕があるわけではない。本来なら私がいくらか助けなくてはならないのに、実家に行けば毎回食品や料理を持たせてくれる。息子の誕生前、妻は時間があって体調が良ければ、平日に一人でも私の実家に行って母と話をしていたようだ。妻は自分の母親とあまり話したがらない分、私の母の心配をしているようなところがある。

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私は母の34歳の時の子で、42年も前だから当時としては高齢出産の部類に入っていたかもしれない。父と一緒に牧場の仕事に汗を流し、私を妊娠中は悪阻もありながら臨月まで乳牛の世話をしていたという。

乳牛の牧場というのは過酷な仕事だ。今も全自動搾乳ロボットなんて導入しているのは日本国内でも片手で数えられるくらい。早朝から深夜まで肉体労働が続き、基本的に年中無休だ。ヘルパー制度を使えば冠婚葬祭で1~2日くらいは休めるが、私の両親はほとんど利用していなかった。

深夜午前0時から搾乳準備が始まったとすると、当時の我が家の規模で準備・搾乳・給餌・掃除が全て終わるのは午前3時。その上に子牛への哺乳などもある。まとまった睡眠時間はとれず、2~3時間程度を数回に分けて眠るのが普通。

そんな生活だったから、私と姉には家族でレジャーを楽しんだという記憶がほとんど無い。だが一度だけ、母に隣県の観光地の水族館へ日帰りで連れて行ってもらったのを覚えている。三人でイルカのショーを見たり、アイスクリームを買ってもらったり・・・。世の中にこんな楽しいことがあるのかと思ったが、その日帰り旅行の時間を作るために両親が短い睡眠時間をさらに削っていたことを知っていたので、もう一度とせがむようなことはできなかった。

私の祖母が認知症になると、介護のため母の時間は更に削られることになった。どうして他人の親にあれほど献身的になれたのか母に聞いてみたいと思うが、たぶん「それが当たり前だから」と返されるだろう。

その母が一度だけ、姉に対して烈火のように怒ったことがある。祖母の認知症が進み、小学生の姉に何か嫌なことを言ったのだと思うが、怒った姉は座っていた祖母の背中を泣きながらを軽く蹴ってしまった。この時の母の叱り様はそれまで見たこともないほど厳しいもので、母が姉を叩いたのはあれが最初で最後だったと思う。

その後祖母が徘徊を始め、冬の深夜に失踪して緊急捜索が行われるに至り、ついに老人ホームに入ることになったが、入所後毎日のようにホームに通い、祖母を最期まで看病したのも母である。

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43年前、母が私の妊娠を祖母に伝えた時、当時の生活の苦しさから「二人目なんかいらんのに」と言われたらしい。そのことを母がポツリと呟いたのは、私が妻と結婚することを伝えて暫くしてからだった。その時の母の気持ちはどんなだっただろうか。今、祖母に対してどんな想いがあるのだろうか。

私と妻が結婚するとき、母が妻へ望んだことは、私の子供を産んでほしいということだけだった。ただ、母は妻にそう言ってしまったことで、妻にプレッシャーを与えてしまったと悔やんでいたかもしれない。 その後妻が妊娠を報告するまで、母はそのことを一切話題にしなかったのだ。

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母から妻へのお祝いには短い手紙が入っていた。

幸せは、今ここにあり、苦は未来の宝。
明日を信じて、一女・一男に恵まれた。
”決して、甘やかしては、ならない”
そばにいて、やさしく、心のつえに、なってほしい

私の願いは、これだけ
一日も早く 元気になってね

帰宅して手紙を読んだ妻は、「ありがとう・・・」の後に言葉を続けられないまま泣いていた。

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今日は出産から入院していた病院の看護師さんに、医大附属病院や矯正歯科での治療内容や今後の予定をフィードバックした。せっかく病院ヘ行ったので、正確に体重を計ってもらったところ3560gだった。1日あたり50gのペースで、これはちょっと増えすぎに近い。「飲みやすく、飲みやすく」と哺乳に注意を払った結果、どうやら十分以上に与えてしまったらしい。口の中の潰瘍も見てもらったが、状態は良くなっているとのこと。






ミルクをたくさん飲んでくれるのはとても嬉しいのだが、しばらくは少し間隔をあけて回数を1回減らしたほうがいいだろう。そこで入院時に付けていたような哺乳記録を付けて管理するようにした。ミルクの間隔が開くとお腹が減って泣くことが増える。潰瘍を気遣っておしゃぶりを与えていなかったのだが、看護師さんの意見では使って構わないということだったので、帰り道で購入して早速使っているところだ。


2013年5月18日土曜日

生後16日目 胎児診断結果の伝え方(2)

午前2時半。80ccの授乳が終わったところだ。今回はえらいスピードで飲んだなぁ。プラスチック製の哺乳瓶を時々指でつまむように押すことで吸啜(きゅうてつ)を補助してやるようにしている。あまり早すぎるとむせてしまうので気をつける。



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「胎児診断結果の伝え方」の続き。

いよいよ身内に説明する時には、冷静に順序立てて、しかしあまり深刻になり過ぎないように。そして旦那さんの親族には旦那さんが説明するのが基本。 奥さん任せにしてはダメだ。奥さんから「お義父さん・お義母さんに伝えて・・・」と頼まれる前に「今度親父・御袋に話をするよ」と言ってほしい。

私の場合、私の両親に伝える時にはエコーの画像のプリントを見せながら、症状と必要な手術について簡単に説明し、最後に「その他には問題ないから、あまり心配する必要はないよ」と軽い調子で付け加えた。ここらへんは臨機応変に、ある程度演技も必要である。

問 題はちょっと親子関係がこじれているような場合だ。妻と彼女の母親の現在の関係は、こじれているとまでは言わないがちょっと微妙で、妻は普段からあまり話 したがらない。こんな時は、私がそうしたように、直接会うときに旦那さんがついて行ってあげてほしい。奥さんが頑張って一言切り出したあとは、旦那さんが しっかりフォローすること。明るくどっしりと構えて、「私もついてますし大丈夫です!」くらいのことは言ってほしい。

と にかく、旦那さんはこの時期の奥さんを全力で庇うことだ。口唇口蓋裂に限って言えば原因は今のところ判明していない。多くの人が遺伝因子を持っていて、そ の他の外的要因が複雑に絡み合って「たまたま」発現しただけのこと。奥さんには何の非もないのだが、それが理解できない人も世の中にはいる。そんな人の間 違った言動から奥さんと赤ちゃんを守るのが旦那さんの務めである。

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息子の頬に貼っているシートがちょっとめくれてきた。次の受診までには一度くらい貼り直す必要がありそうだ。



2013年5月17日金曜日

生後15日目 初めて病院と関係ない日/胎児診断結果の伝え方(1)

午前5時に起きてすぐ授乳。昨晩は風呂に入れたらすぐに気持ちよく寝てくれた。夜中は妻が授乳してくれたらしい。






鼻の下を左右にテーピングしていることで口が閉じやすくなり、乾燥を防止できているようだ。気のせいか、呼吸音が静かになったと思う。

今日は特に受診もなく、生まれて初めて病院と関係のない日だ。今日の息子に関するトピックは少ないと思うので、今日の記事は妻の妊娠中を振り返って書いてみたいと思う。

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めでたく妊娠が分かると、最初は一ヶ月に一度くらいの頻度で妊婦検診に行くと思う。妊婦の旦那様に強くおすすめしたいことは、仕事が忙しくてもなるべく妊婦検診に付き添ってあげてほしいということだ。

妻の場合は高齢出産のうえに悪阻が尋常ではなかったこともあり、ほぼ毎回付き添った。でも付き添っていた一番の理由は、エコーでリアルタイムに我が子の姿を見てみたいということ。心拍が確認され、性別が分かり、順調に大きくなっていくのを二人で見て喜んでいた。

医師から口唇口蓋裂の診断を受けた時も、やはり二人で説明を聞いた。もし妻一人で聞いていたら、彼女は私に自分で告げなければならず、余計なプレッシャーを感じていただろう。

その後の妊婦検診にも二人で行き、母子手帳についていた超音波診断無料券を使い切った後は自費負担で毎回エコーを見せていただいた。担当の先生は通常の身体計測や心臓・血流のチェックの他に、口の周りを入念に確認してくださった。重要なのは、それをリアルタイムで、夫婦で共有すること。

奥さんに少しでも安心して過ごしてもらうためにも、旦那さん、妊婦検診について行ってあげてください。

さて、妊婦検診で何らかの問題が発見された場合、それをどのように身内に伝えるか、悩まれる方もあるだろう。

その前に重要なのは、問題・障害について、夫婦でしっかり正確な知識を身につけておくことだ。それなしには身内を安心させることはできない。例えば娘(息子)が胎児について病名だけを告げてきて、予想される症状や治療方法についてきちんと説明できないとしたら不安になるばかりで、もしかしたら感情的な言葉が出てしまうかもしれない。夫婦が正確な知識を身に付ける、その時間を確保するためにも、できるだけ早い時期での正確な診断が重要になる。

知識というのは、他人にうまく伝えることができて初めて自分の身についたと言うことができる。身内への説明のためにしっかり勉強することは、その後の治療にも大きく役立つだろう。

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長くなるので、「胎児診断結果の伝え方」の続きは改めて投稿する。

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帰宅してみると、昨日は抱っこが怖いと言っていた娘が、抱っこしてあやしてくれていた。聞けば今日は定期考査の日で昼までだったそうで、帰ってから何度も抱っこや調乳をしてくれたそうだ。娘も成長しているようで、嬉しいものだ。お昼にテープが取れてしまい、妻と娘の二人がかりで新しいテープを貼ったとも聞いた。

哺乳はP型乳首とプラスチック瓶の組み合わせで、吸う動作にあわせて瓶を押さえてミルクが出るようにしてみた。この方法なら負担を少なくできるのではないだろうか。

2013年5月16日木曜日

生後14日目 矯正歯科受診

人生で初めて、我が子を挟んで川の字で寝た。目が醒めた時に妻にそう言ってみたら、「うん。ほんとに夢のようだわ」と返ってきた。妻は前回の出産時には前夫との離婚が決まっていたので、彼女にとっても初めてだ。ベッドは普通のダブルサイズなのであまり広いとは言えないけれど、何とか眠れるものだ。やはり息子の様子が気になって、細切れの睡眠になってしまった。



今日の予定は、午後2時に矯正歯科の受診だ。また午後半休を取る必要がある。 昨日早朝にリリースした更新モジュール(とあるWEB営業支援システムの本体プログラムとバッチプログラムの改訂)の動作も気になるので、昨日ほどではないが少し早めに出勤して確認しておこう。

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12時半に妻が息子を連れて会社まで来てくれたので、そこから5kmほど先の矯正歯科に連れて行った。今回実施したのはホッツ床の型取りと、テーピングと言ったらいいのか、写真を見ていただきたい。






鼻の下の部分を押し下げ、上顎を左右から寄せるために、このようにテープを用いるのだそうだ。早い時期にこうすることで、赤ちゃんの顎の形を正しい形に導いていく。


これに先立ってホッツ床の型取りを行ったのだが、合成樹脂と思われる材料を口の中に入れて上に押し当てること2分間。どのような感覚なのか知る由もないが・・・痛いのか吐きそうなのか、当然大泣きする。最初は私のすぐ横で見ていた妻は、そのうち自分の顔を手で覆って私の後ろに隠れてしまった。「私がちゃんと産んであげてたら・・・みたいに思えちゃって、ちょっと泣いちゃった」と帰りの車内でつぶやいていた。口唇口蓋裂の原因は分かっていないわけだし、妻は妊娠中の激しい悪阻の吐き気の中、サプリメントや点滴までして必死で栄養を取ろうと最善を尽くしていた。口唇口蓋裂の遺伝因子は多くの人が持っていて、その他の外的要因が複雑にからみ合って、ほとんど偶然に発現したに過ぎない。それは妻も知識としてはわかっているのだが、感情がついてこないのだろう。

次の受診は1週間後の同じ時間。順調ならホッツ床の装着になる。





「高校生のお姉ちゃん、おっかなびっくり弟を触る」。まだ抱っこは怖いそうな。

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授乳については、潰瘍の状態を確認しながらピジョンP型で行なっている。細長いタイプの乳首はミルクが出すぎて、まだうまく飲ませることができていない。潰瘍が悪化した場合のこともあるので、また練習しておかなくては。