友人宅に着き、御父様の御顔を拝見してお線香をあげ、手を合わせる。最近まで元気に桃畑をされていたはずだ。御病気だったとは知らなかった。
「去年の9月から入院しとってな。肺の腺癌。春先から咳が出てたんだけど、病院に行かなかったんよ。医者に診てもらった時には12cmにもなってた」友人と御母様の顔には、疲労と寂しさが滲んでいた。
「お幾つだったっけ?」
「72だな」私の両親より下だ。両親も様々なことで病院にかかっているので、全く他人事ではない。自分達もお悔やみのほうが多くなってくるような年代に差し掛かったということだ。
「放射線治療とか、化学療法がしんどそうだったなぁ。一気に痩せたもんなぁ」
「年をとると体力的にきつい治療は難しいもんね。僕の伯母も85で、抗癌剤治療は年齢的に無理って言われたよ」友人は疲れてはいたが、看病をやり切ったという思いがあるのか、和やかな表情で話してくれた。
自宅に帰り、Facebookで教えてくれたA君の投稿に「教えてくれてありがとう。少し話ができました」と書き込んだ。今朝、さらにA君からのコメントが入っていた。
「うちのお袋の時も、皆んな来てくれて、救われた思いだったので、迷ったんだけど、ここで公表しました」お通夜、告別式で故人の思い出話をすることも、大きな意味があるのだなと思う。
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「おつむてんてん」というとこんな格好します |
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