平日にもかかわらず予想外に多くの方の弔問を頂き、生花などは溢れるほどだった。
娘は滋賀から急遽帰ってきてくれたし、妻はよく私のサポートをしてくれた。息子は御骨を斎場から運ぶ大役を担ってくれた。
こうした葬祭を簡単に済ませたり、全く行わないこともあるように聞くが、こうした時にしか会うことのない親族と話ができる機会も貴重だと感じる。まあ、人それぞれだとは思うが。
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平日にもかかわらず予想外に多くの方の弔問を頂き、生花などは溢れるほどだった。
娘は滋賀から急遽帰ってきてくれたし、妻はよく私のサポートをしてくれた。息子は御骨を斎場から運ぶ大役を担ってくれた。
こうした葬祭を簡単に済ませたり、全く行わないこともあるように聞くが、こうした時にしか会うことのない親族と話ができる機会も貴重だと感じる。まあ、人それぞれだとは思うが。
午前9時ちょうど、母が息を引き取った。行年89歳。ここ2週間ほどはほぼ意識のない状態が続いていた。腸炎と肺炎を併発し、かなり強めの抗生剤を使ってもCRPの数値が下がらない。
胃ろうや高濃度栄養、その他の延命措置はお願いせず、自然な状態での最期を希望していたので、点滴などのほかには治療は行っていなかった。
母は父と結婚してからというもの、休む暇なく働いて姉と私を育ててくれた。口数は少ない方で、大げさに褒めてくれるようなことはなかったが、私にはいつも笑顔で接してくれた。それだけで十分だった記憶がある。
さて、六曜の関係で通夜が明後日で告別式が明々後日。私が喪主。順当ならば三回目にして人生最後の喪主のはず。しっかりと母を送ろうと思う。
そうそう、母のこともあって里子ちゃんは超短期の預かりとなり、我が家で過ごした期間は一週間だった。
母は50年以上、里子ちゃんは一週間で、一緒に過ごした期間は大きく違うが、ほぼ同時に別れることになり、ちょっと大きめの喪失感を感じているところ。どちらも近いうちに別れることは分かっていたが、気持ちの整理が追い付いていない。
そんな日に限って、眼に痛いほど青空が広がっていた。仏壇の閉眼と開眼を、菩提寺の御住職に執り行って頂いた。
まず実家にて古い仏壇の閉眼。
そして我が家に御本尊などと一緒に移動して、新しい仏壇の開眼。閉眼の後の古い仏壇の撤去は、地元の仏具店さんで行って頂いたのだが、撤去の作業自体は菩提寺の御住職も初めて御覧になったそうだ。若い御住職でいらっしゃるが、そもそも仏壇の買い替えということ自体が数少なくなってきているのかもしれない。さて、明日は一時里親としての初めてのお預かりが始まる。私は仕事だが、できるだけ早く帰るようにしよう。
ジクサー250に給油したので記録。走行距離375km/給油量10.36L=36.20km/L。ZG-P1Bを添加。
本格的な冬に入ってきて低温なので、燃費はあまり伸びない。今回初めて燃料計の一番下のセグメントが点滅してから給油したので、過去イチの給油量となった。午後から児童養護施設に伺って、お預かりする予定の子と顔合わせを行った。これまた話した内容は書けないのだが、来週早々からお預かりすることになった。